個性・才能

知り合った芸術家が、「才能のもとは誰にでもある、あとはそれを如何に見つけられるか、磨けるか、諦めないでいられるかだ」と言った一方、離婚や子供さんとの別離という悲しいことがあってから評価されるようになった事実、この二つをどう考えていけばいいのか。

個性や才能、欲求が予め内在するという考え方はやっぱり必要だと思うが…そうじゃないと芸事やって報われない人間はやってられんから。世間から「アホなことやってんなー、才能ないしいい加減やめればいいのに」と言われても「何いってんだか」といってある意味バカになるために必要なんだ。ただ、やはり自己は人や環境によって作られ、変わるのだと考えると、以前アカデミックポストや公務員になりたかった気持ちが戻ってきたし、この得体の知れない閉塞感は晴れる。

どっちにしろ、才能がある・ないとか、才能はもとから眠っているとかを判断基準にして道を選ぶのは愚かなのは分かっているんだけど、自分を切り売りする人間には不安がつきまとう。それを楽にしたい。もっともそれと付き合ってけるくらいの人間だけがいれば、業界の規模としては充分なんだよな。






芸術をやっている人間がかっこうよくされすぎた。人格と作品を何故切り離して考えられないのか・考えてくれないのか。いつから個性と芸術は不可分になったのか。評価されるのは作品だけでいいのに(作品のなかに嫌でも人格も見え隠れしているし)。とくにポップな音楽は、いやクラシックでさえ作品の前に人ありきになってしまっている。江戸時代、芸事を生業にする人間は最下層、異端扱いだったと思うが、それくらいでもいいのだ。それでも今よりもはるかに食うことは出来たはずだし、少なくとも昔(戦前くらいまでか?)の方が芸能が身近にあった−生活のなかに根付き、受け容れられていただろうから。格好良いと煽っておいて、作品をろくに見ず、食い扶持くれないよりかずっといい。
大きな単位の商業ベースに乗ったときにおかしくなったのか?