こんなところに書く話題ではないが、若干の悪意を込めて。
某人物とのメールによる口論(口論以下)?以来、学校に行くと目眩、微熱、吐き気がするようになってしまった…昨日の巡検ミーティングの時なんぞひどかった。その時はまだ風邪を疑っていたが、今日すっきりした体調で行くと、まるもを過ぎたあたりからペダルを漕ぐ足が重くなり、構内に入ったらだるさ、研究棟に入ったら嘔吐感…まだ自分が結構ナイーヴだったことに驚く。むしろ最近ストレスが少なくて免疫が落ちていたのか。こんなふうに露骨に体に症状が出るのは初めてだ。
しかしまぁ、よくあそこまで自分を顧みることなく、人を非難できるものだ…それは、「自分が間違ったことをしていない」という確信から来るんだろうけど。きちんとしていることも、全てはそのアリバイ作りなのでは?と疑ってしまう。そういう人間からみれば確かに僕は我慢ならない存在でしょうね。しかもアリバイがあるから、周囲の人間は彼に味方せざるを得ない。
そんな彼の性格を見抜けなかった(当時はどちらかというと放埒な人間だと思っていた)自分に乾杯。全てはポーズってわけね。「自分がこんなにやっているのに」というひどく遠回しな、しかし香水付けすぎのねーちゃんみたいにぷんぷん匂う自己アピールには辟易。自分自身がまさにそうだが、実践と口が釣り合わない人物はなるたけ避けるのが無難でしょう。

いつもの悪い癖で、研究室自体が自分を疎んでいるように思ってしまう。少なくとも数人は生暖かい眼差しで僕のことを見守ってくれているし、ゼミの時ぐらいは行くようにしよう。あーでもあの席にもう座りたくない。

北海道旅行とか伯楽生活で力を抜くことを憶えて、全体的にみた人生が楽しくなったのはいいけど、ストイックでなければならない、成果主義な環境ではそれがデメリットに…なんでつい2,3ヶ月前の自分があんなに熱かった(その時点で充分醒めていると思っていたけど)のかよく分からなくなってしまった…
(少なくとも自分は)変わることによって良くなっていくことなど出来ない。何かが良くなればどこかが欠落していく。きっと自分で自分の仕事にプライドと自信、開き直りが出来なくなってしまったのも大きいんだろうな…
北海道旅行記でも書くか…(修論は!?)


確かに最近頭を使っていない。うろ覚えなんだが、昔山岸涼子の『妖精王』に「悩まない者」「悩む者」
とかいう薬があって、実は「考えない者」=死の薬という下りがあった。当時はなるほど!といたく共感したが、最近は考えなくとも生きていくことに支障はない、それは半分鬱障害の哲学者が食い扶持を稼ぐための詭弁だ!なんて思っていた。ところが自分はどうも半分鬱障害の哲学者側に居るようですね。ない頭振り絞ってないとダメなようだ。


あー学校から帰ってきて1時間近く経つのにまだ頭痛がする…