世界の奥行き

 どうも自分の興味関心や行動原理を一歩引いて眺めると、その空間に「奥行き」があるかどうか、というのがアクションを起こす上での重要な指針になっているような気がする。「奥行き」というのは、強いて言えば、未知であったり、想像力で補う必要のあるような空間が十分な拡がりをもって存在している、といったところか。

 

例えば、山を例にしてみると、東北以北の山は林相が豊かで森の景色に「奥行きがある」。さらには森林限界も低いので森林から灌木帯、高山帯への変化を観察しやすい。加えて、雪、季節風、水といった要素が加わり更に複雑な景観のバリエーションを見せる。よって、真昼山地のように1000mにも満たないのに高山帯があるかと思えば、吾妻連峰のように2000mを超えているのに針葉樹林帯があるような山もまた存在しうる。行ったことのない山の様相を容易に想像しづらい。

 

自分が関心を持ち続けている平地林もこれで、林の中にいると次に何が現れるのか、想像が付かない。いきなり切り開かれた畑が現れるかと思えば産廃処理場や住宅地が現れもする。筑波学園都市はそれなりに拓けた街だが、高い建物の屋上から景色を見ると断続的に存在する街路樹や公園によって森が延々と広がっているように見えるのがお気に入りだった。

 

単純に未知であったり、「そこに何があるのか確かめたくなる」ような空間であるだけではどうも訴求力がないようで、拡がりが重要な要素でもあるようだ。その拡がりの只中を心ゆくまで歩き堪能したいという欲。

 

とくにオチはないが、ひとまずのメモとして。