初詣

学校やスポーツ(ウィンター系除く)のカメラマンは概して冬の仕事は少ない。備えを怠ったのもあり、年を跨いだら平日は閑古鳥が鳴く有様となってしまった。それでも忙しくしていた頃になおざりにしていた用事をこなしているうちに日はどんどん経ち、初詣に行く間もなく、松の内が終わり、小正月が終わり…
意を決して行った古峯神社(毎年お参りしている)は大雪に阻まれ、なんとか鳥居前まで辿り着くも除雪作業の邪魔になり撤退。

Strong snow


昨日、ようやく気を取り直して、まずは近場からと近所の神社にお参りしてきた。

Shrines


行ってみて、面前を通ったことはあるもののきちんとお参りしたことがなかったことに気付く。もうここに4年住んでいるというのに何という不信心。改めて見る鎮守の森はそれなりの樹齢の楠があり、立派だ。舗装道路からも既存の集落からもやや離れているのでもっと荒廃しているかと思ったが、人の手はしっかり入っている。


Dairokuten Shrine (第六天社)

二社が並んでいる造りになっているのだが、何と一方は「第六天社」だった。まさかと思いつつもやはり、信長で有名な第六天魔王を祀っているという。神仏分離令によって減ってはしまったものの、関東にはそれなりの数の社があったようだ。

A mystery object

A mystery object

いまだに正体は掴めていないのだが、この地域独特の注連縄がかかっている。しばしば日本酒の銘が書かれていることから、中にはお神酒を祀ってあるものだとは思う。

Dairokuten Shrine (第六天社)

正面。第六天社と知ると、なかなかそれらしい雰囲気がある。

Dairokuten Shrine (第六天社)


Kashima Shrine(鹿島神社)

先に第六天社を参拝してしまったが、メインとなるのはこちらの鹿島神社。先日の大雪のせいか、残念ながら注連縄が落ちてしまっている。

A mystery object

これまた正体の分からないオブジェ。鳥除けの類だろうか。


Kashima Shrine 鹿島神社境内

境内はそれなりの広さがある。

Kashima Shrine 鹿島神社境内

Kashima and Dairokuten Shrine

鹿島神社と第六天社の鳥居の位置関係。本社と末社という関係でもなさそうで、不思議な組み合わせだ。

My walking path

よもや廃道になっているだろうと地形図に記載されていた里道が生きていたので、崖線を下って牛久沼へ散歩。X-Pro2を買って半年が経つが、階調が良く、こうした光線状態の悪い状況でも微妙な光を拾って絵作りをしてくれるので気に入っている。わずか30分程度の外出だったが充実感があり楽しかった。

バスケットボールと交響曲

 スポーツの撮影を始めてから3年と半年が経った。瞬間瞬間に判断しながら絵を紡ぎ出していく過程は、どこかジャズのアドリブ演奏で使っている脳みそと似たようなところを使うように感じている。プレーが譜面、あるいはテーマで、機材は楽器、カメラマンが奏者とも取れるし、どこか音楽と重なる部分があるなと思う(これを言えば、被写体・機材・撮影者という構図は何を撮っても変わらないのだから写真そのものがそうだと言うことになってしまうが、やはりスポーツのときに強く思い起こす)。

 世間はクリスマスさなかの3日間、ひたすらバスケットボールの試合を撮り続ける仕事に就いていた。レベルの高い大会なので、何度も競り合い、見ているこちらがひりつくような逆転劇が幾度も起きる。
1点差、最後のちょっとしたミスやラッキーで勝敗が決まることも稀ではないのだが、度々そうした試合を見ていると、そこに偶然はなく残酷なまでの必然しかないように思えてくる。バスケのような時間が予め決まっている競技は、第一クォーターから勝ちへの軌跡を描いて、終幕の勝利目指してプレーを積み重ねていかないといけない。好プレーもミスも全てが蓄積され、終盤になればなるほど未来が分岐していく可能性は狭まり、現実は残酷に突きつけられていく。

唐突に聞こえるかもしれないが、その過程はどことなく交響曲の演奏を連想させるなというのが今日の感想だった。
まずこじつけっぽくはあるが、クォーターは4つ、交響曲も楽章が4つ(のものが大半)。時間もまた、一試合が70分くらい、重めの交響曲とほぼ一緒だ。形式的に想起させるというのがまずは一つ。
そして、全体デザインの話。楽章というのは結構厄介な代物で、楽章間の構成やパワーバランスはかなり繊細に扱わないと曲全体が意味を失うと思っている。
逆に言えば、楽章間の関係を適切に扱えば非常に印象的な演奏になるということでもあり、交響曲を上手く振る指揮者は、そこが実に巧みだ。敢えて長大な第1楽章をあっさりと振ったり、スケルツォを歌い込んだり、一見クライマックスに思える山場でも抑制を効かせたり、終幕という到達点で聴衆が最高の充足を得られるよう、綿密な計算のもとににタクトを振る。近視眼的にフレーズに振り回されていては、聴衆は膨大な時間のなかで迷子になってしまい、物語を、フィナーレまでの道標を見失ってしまう。

ゴール間を行き来する絶え間ない反復は、よく見ていけば同じものはそうそうない。撮り逃したシーンをもう一度と思ってもそれは容易に再現されない。テーマが発展、あるいは弁証法的に再現・展開されるソナタ形式を思い起こさせる。それらは前言のように、全て最終の勝利、あるいは敗北に向けて蓄積される。場当たり的なプレーやミスによる綻びは時間を逼迫して終章への道筋を途絶えさせる。

若人の、荒々しくも美しいプレーと、試合が進むにつれ真綿のように締まっていく可能性を目の当たりにしながら、頭のなかに流れていたBGMは、静謐なマーラーの第四交響曲だった。第三交響曲で一つの絶頂に達したマーラーは、この曲で此世と天国を対置し、メルヒェン性と死の予感を接続させた。時間との戦いであるバスケの熱戦を観戦しながら、終末を予兆、あるいは物語の終わりを描くようなこの曲が脳裏に浮かんだのは偶然ではないと思う。

自転車で見た景色

 昨日の夕暮れ、久々に自転車を漕いで宅急便を出しに行った。以前8kmと言ったけど、それは某駅までの距離で、実際は5kmほど。
 いつも自動車で行く道のりの風景は、人家もまばらな台地の上を縫うように走る、静かな景色という認識だったが、自転車に乗るととたんに解像度が上がる。耕作放棄地、産廃処理業者、建築業者、太陽光発電所、唐突に現れる、小さな住宅団地、何に使われるでもない空き地…まともに作付けされている耕地は実に少ない。自分のなかで、どこか牧歌的と思っていた景色がたちどころに現実的な都市周縁的景観となっていく。そして、どこに行くか分からない、ジャングルと化しつつある平地林の奥に伸びていく細々とした砂利道の数々。
 朝が早く、すでに眠かったのでカメラを置いてきてしまったが、残照を受ける産廃の山、何が作られるかも分からない、緑に没しつつある造成地、耕されたばかりのふかふかとした土が、湯気を立てんばかりの雑木林に囲まれた畑など、撮れそうなものはたくさんあった。

求職用文書

写真の講師のアルバイトがあったので、応募してみた。応募フォーマットに初心者勧誘の文章を書けだの、質問を想定して回答を書けだの面倒な項目があったので走り書きしたが、なんだかそれっぽく書けたので載せておく。こんな死生観の濃い文章書いていたら採用されないだうw

初心者に対してのPR

日々成長するお子さんの可愛らしい表情、美しく咲き誇る花や自然…

世の中に変化しないものはなく、美しいもの、素晴らしいものも目まぐるしく変化していきます。

目にした素晴らしい一瞬をカメラに納め、手元に残したい気持ちは誰もが持ったことがあるのではないでしょうか。

一方で、カメラはどんどん進化し、多様化・複雑化しています。

カメラを扱うのが難しそうで写真を撮る気になれない、実際に使っても失敗ばかりで諦めてしまった、撮っていてもおもしろくなくて、あまりカメラに触らなくなってしまった…そんな方も多いかと思います。

でも、撮影する上で人が決めなくてはならないのは、シャッタースピード、絞り、ピント、感度、このたった4つの数字だけなのです。携帯のカメラも、たくさんのボタンがずらりと並ぶ一眼レフも、このことは変わりません。

そして、光の表情を読み、この4つの数字を決めるだけで、無限の表現が生まれます。

とっつきやすく、奥も深いのが写真です。このことは他のジャンルにない、とても良いことだと思っています。

自分も小さいころ親のカメラに憧れてたびたび貸してもらい、手探りで操作を覚えました。独学で撮って失敗しては本を読み、少しづつ少しづつ技術と知識を積み重ねていき、プロの門をたたきました。

目の前の景色を見たように撮る、よりドラマティックに、より愛らしく、やさしく…素晴らしい被写体も、それを表現する方法も無限です。
一歩一歩、あなたの撮りたい素晴らしいものを、撮りたいように撮れるようお手伝いしていきます。一緒に勉強していきましょう。

カメラを学ぶことによってどんなメリットがありますか?(人生についてとか交えて書いてという指定)


旅行のとき、「カメラを持っていると写真を撮ることに夢中になってしまい、観光地を楽しめなくなってしまうので、カメラは持たない」という人に何人か出会ったことがあります。なるほど…と思いつつも、どこかで違和感を覚えました。

確かに、撮ることに夢中になり、撮れたら満足して名所や旧跡をゆっくり楽しまずに帰っていってしまう人はよく見かけます。
はたから見ていればもっとゆっくりしていけばいいのに…とは思いますが、だからといってカメラを置いてきてしまうのはもったいない、と思うのです。

話はいきなり抽象的になります。

諸行無常、万物流転というように、全てのものは変化していきます。生きとし生けるもの、いつかは死を迎えなくてはなりません。

「全ての写真は遺影である」とロラン・バルトはいい、写真家の藤原新也は「メメント・モリ」(死を想え)というシリーズを、同じく写真家の荒木経惟は「エロスとタナトス」(愛の神と死の神)というシリーズを発表しています。写真において、時間の有限、死は強く意識されています。

全ては変化しなくなっていく、それでもその一瞬を残さずにはいられない、という対象への愛や執着、運命へのささやかな抵抗が写真を撮る行為だと思っています。

人生のなかで、たくさんの写真を撮って下さい。撮影対象をより深く観察し、慈しみ、愛おしみ、一瞬一瞬の素晴らしい表情をカメラと脳裏に焼き付けて下さい。

その過程で、あなたの「見る」という行為はより鋭く、多角的に、一瞬を捉え逃さないようになり、今まで気づかなかった美しいものや素晴らしい一瞬に出会えることでしょう。

雨引の里と彫刻2013

仕事をお手伝いしている方の縁で、野外彫刻展である「雨引の里と彫刻」、2011年の回には多少の関わりを持たせていただいた。恥ずかしい話、もともと美術に大した興味はなかったのだが、仕事を通して一流の作品を見るこ機会に恵まれ、曇り眼も多少は開き関心も出てきた。この彫刻展はそうした機会のなかでも最も大きなものだ。舞台となる大和村(現桜川市)は、取り立てて景勝があるわけではないが空気が澄んで景色も良いところで、いまだ茨城の多くを識っているわけではないが、茨城でももっとも美しい場所の一つだと思う。そう思わせてくれることに、作品群の大いなる助けがあったことは間違いない。調和している…というよりかは、作品があることによって気付かされる風景があるというか、風景の力点が変わる感じがある。今回2013年の開催には仕事で関われなかったものの、急ぎ足で作品を見てきた。作品を撮っていたつもりが、作品の写真にはろくなものがあまりなく、景色の写真ばかりになってしまったがご容赦願いたい。


_DSF2015

海崎三郎/点在II

海崎氏の前回の出展作は広い野原に鉄製の井戸のような矩形の囲いがあり、そこに長大な角の鉄柱が刺さっているという、度肝を抜かれるものだったが、今回は一転静けさと密やかさに満ちた作品であった。ゆったりと波打った鉄板に、静かな水面に水が滴り落ちるような突起が点在する。鉄でこのような柔らかな表現が出来るのかと驚いた。



_DSF2023

齋藤さだむ/不在の光景partII

齋藤氏の前作は、ゲートボール場の倉庫兼休み場の小屋いっぱいにキッチュな観覧車の大延ばし写真を並べたもので、現におばあちゃんたちが使っている、人の気配に満ちた小屋の佇まいと観覧車のポップさが合わさって得も言われぬ面白みがあったが、今回はお堂での展示である。写真も打って変わって被災地のものが並び、その上にはお堂に半ば朽ちるようにしたあったという観音像と十二神将像を撮影したものが並んでいる。被災地の写真もさることながら、この物撮りが猛烈に良い。


_DSF2026


_DSF2044

高梨恵理/深い水II

暗い写真で恐縮だが、木立の中に紛れているような感じが気に入ってこのままにした。木彫で木の質感が心地良い一方、体の組織か、海の底にただ在るようにして生きているような何かの生き物を想像させるような感じがある。



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もう一枚


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山本憲一/剪定季の風


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_DSF2074


_DSF2077

このお宅の裏の物置に、打ち棄てられたものと半ば同化して西成田洋子作品が展示されている。この家、少しおどろおどろしいがまだ住めそうである。住みたい。


_DSF2087

大和村にはいくつか溜め池があって、景色に変化をもたらしている。これだけ溜め池がある地域というのは、茨城では珍しいのではないだろうか。奥は加波山


_DSF2088

これは帰り途中の写真で、場所もつくば市に入ったところなのだが、何となく一貫性があるような気もするので載せておく。祭神は確かめなかったが、水関係の神様かもしれない。


Small Shrines and Mt.Tsukuba

上の神社と道を挟んだところにある末社。奥は筑波山。寂しいが気持ちの良いところである。


A Gray Heron

移動中にアオサギに出会った。鷺は好きな鳥で、このアオサギもわりと近くにいたので写真を撮ろうと近寄ったら、カラスのごとく電柱に乗った。


_DSF2104

ピントが悪いが、夕日を受けて山が紫に染まる、巷に言う紫峰である。まぁ一般に紫峰というと筑波山を指すのだがこちらは加波山



_DSF2115

井上雅之/A-135

遠目からでも分かる大きな丸が、良い感じに異質さを放っていた。この作品のすぐ横に農家があるのだが、そこの親父さんが何とも言えない表情で庭仕事をしていた。農家、おやじさん、そしてこの作品という関係性、組み合わせは多少の緊張と不協和を出しつつもどこかユーモラスだった。

近視眼

大学の学部在学中に親戚のおばさんからLeitzMinolta CLというカメラを譲り受け、今に至るまで愛用している(もらった個体は露出計が死亡、さらにスプロケが割れ、マスキングテープでフィルムを止めているような状態になり、しまいにはレリーズボタンが吹っ飛び使用不能になった…現在は買い増ししたCLとCLEの二台体制)。50mmのレンズはKonicaのHexanon 50mm F2のかなり状態の良いものを中古で買って使っていたが、CLの距離計との相性が悪いのか開放付近になるとピンボケが多かった。あっさり目の写りがそんなにしっくりこなかったというのもあって早々にヤフオクで売ってしまい、代わりに当時投げ売り状態になっていたコシナ発のフォクトレンダーシリーズ、COLOR SKOPAR 50mm F2.5を買った。


CL and CLE

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雑感

山に行くと言って半ば無理矢理に大工の仕事を休んだというのに天気は優れぬ…そうこうするうちにいつの間にかボスの手伝いをすることに。昼飯時、ビール飲んで上機嫌なボスと写真についてつらつらと話をした。


写真に写っているものは何か
写真とは、良い写真とは何か
自分はなにを写したいのか

凡々庸々だが、かといって考えずにはいられない話である。
奥武蔵の廃村だったが、廃村というものに初めて行ったとき、朽ちて藪に没しようとしている家の軒先に、アルバムが落ちていた。急斜面の上の石垣に建っているその家の庭は、、幅が1mくらいしかない。その庭いっぱいに花が植えられ、家族が満面の笑みで写っている写真が落ちていた。ボスと話をしているときにふと浮かんだのはその写真のことだった。
あれこそが、写真のなかの写真たるものではないか、ふと思ったのである。

写真論などではきっと散々に言い尽くされているだろうが、写真の、絵画との最大の差異は時間を写していることで、その時そのことが起きていたことが、写し手の愛情、嫌悪、驚き、欲望、そういった諸々の感情に依った視線の存在とともに物質化された、現実の一葉の証左であるということは何度自覚しても良いことだろう。
時間は、ものをどんどん風化させていく。ただでさえ不確かで、小さな灯火のように頼りない認知などは時間の経過に耐えうるはずもない。その瞬間手にしていたはずの、今ここにあることの確かさ、現実への手応えなどはまったく幻のようで、あの時確かに感じていたはずの、充足や高揚、心地良い疲労と満足感、人の肌や獣の毛並みの感触はどこにいったのか…そのほとんどは曖昧となって、ご都合的に整理された記憶に埋没していく。
写真を撮り、見ることはその瞬く間に失われた確かさと手応えを取り戻す試みと言ってもいいのではないか。
他人が撮った写真では、その確かさは撮影者の視点から奔流のように己に流れ込む。得られた「確かさ」は撮影者にとってみれば全くのお門違いかもしれないし、他人と一緒にその写真を見ていて同じ「確かさ」を共有するとも思えないが、それでもやはり手応えは存在するのであり、さらにいうならその手応えによって己の認知世界が一瞬にして塗り替えられることすらそう珍しいことではない。廃村に置かれていたその写真を見たあと、藪に没していく集落の景色から、撮影当時の、人々が山仕事姿で行き交い、庭には花が植えられ、炊煙が上がる往事の集落の姿を想像すること、撮影者がいかに家族と村を愛していたかを想像することは、そう難しくないだろう。自分が写真からこの上ない驚きと愉悦を感じる瞬間である。


(写真でなくとも、やはり時間が刻み込まれた「痕跡」に自分は惹かれる。例えば、原爆によって人の影が写し取られた銀行の階段、一乗谷の戦火で焼けた寺の礎石。そう考えると案外自分は視線の存在に無頓着なのかもしれない。あの写真を撮ったのが自分であって、部屋の奥隅から数十年ぶりに発見されるのと、今回のように家族自身が撮って廃屋にぽつんと落ちている、その状況によって写真の受け止め方は変わるか、まぁ変わるだろう。どのように?そのへんはおいおい考える。)

…振り返ってみれば凡庸な話だが、やはり写真は構図やヴィジュアルの美しさよりもまず一義に時間なのだ、と胆に命じた、という話でした。