転換期と祟り?

今では同期たちとはすっかり違う生活になり、安定に背を向けて低賃金労働に身をやつしている自分。もっと金があったらなーとは思ったり、ちゃんと活動しなくてはと思うものの、今やっている仕事や置かれている環境はわりと好きだったりする。もちろんベストではないが、よく分からないまま公務員になったりしていた場合よりかはベターであったろうと思っている。

それでも、何でこんな状況になったのだろう、と不思議に思うことはある。もちろん直接のきっかけははっきりしているのだが、だいぶ前から、それ以前にある程度の下敷きがあって、「直接のきっかけ」は最後の引き金を引いたに過ぎないと思うようになった。
最近までの自分はそれを2006年7月の北海道旅行に求めていたのだが、そう思いつつも、もしやこれが影響していたのでは、と気になっていた出来事がある。

実は2006年の3月頃、友人Nと秩父の廃村を巡って歩いたことがあった。その前の秋に名栗の廃村を一人で歩いており、その意外なまでの平和さ、人の暮らしの痕跡の暖かさにすっかり感動して、廃村が集中している秩父も、と思ったのだった。
元から、斜面の中腹にある集落の景色と暮らしには興味があった。そういう集落は得てして戸数が少なかったり、外界から隔絶したりしていて、実際に人が住んでいる集落をいたずらに歩き回ると結構目立ってしまう。もう住んでいない場所なら、その地理的な特徴をゆっくり観察できる、と考えたわけでもあった。

そのハイキング自体は楽しかった。写真も結構な数を撮った。かつて急斜面にあった畑の跡を友人が見上げている写真と、懸命に下ろうとしている写真は、我ながら斜面の暮らしを伝えられているなーと思い、今でもわりとお気に入りである。
ただ、最初に訪れた集落はどこか異様だった。すでに人は住んで居ないとはいえ、草刈りが行われ、建物の痛みも少なく、日当りも良くて気持ちのいい場所だった。だが、ある家には悪魔のような形相の角大師のお札と豆大師のお札が戸の一面に貼られており、まるで何かを封印しているかのようだった。村の領域の境界にも何やら札が貼ってある。さらに、休憩出来る場所を探してあたりを歩き回ると、一本の細道が谷に面した、日の当たる方に向かっており、辿ってみるとぽっかりと開けた小空間があった。いい場所があったと思い、友人を連れて行くと、見る間に青ざめ、自分を引っ張って集落に連れ戻した。
奇異に思って訳を聞くと、「あそこは捨て墓だ」という。たしかに、集落と離れた小空間、よく見れば燭台のようなものと、湯呑みが転がっていた...
その時は手を合わせて拝み、ひたすら立ち入ってしまったことを心の中で詫びたが、その後は悪びれるでも気落ちするでもなく、予定のルートを歩き通した。幾つかの集落を歩いたが、最初の集落が一番明るく、人の生活の痕跡も豊富だった。
充足感とともにハイキングは終わった。だが友人は、興味深かったし楽しかったが、もう二度と廃村には来ないであろう、との旨のことを帰り際に言った。俺はそれを残念な思いで聞き、何をそんなにびびっているのだ、また他の廃村も歩いてみようぜ!と言った。だが、俺もしばらくしてから妙に薄ら寒くそのことが思い出され、捨て墓に立ち入ってしまったことも、罪悪感と何か祟りでもあるのではないかとの恐れとともに度々思い出されるようになった。それ以降、廃村には行っていない(正確に言うと、タイプの違う廃村には行っている。知床の開拓集落、岩尾別の跡である。)し、これからも行くことは、恐らくないだろう。


ふと思ってその時期のあたりのこの過去ログを一通り読んでみたが、どこにも廃村を歩いたという記事はない。わずかに、友人の言を引く時に、一緒に廃村を歩いた〜というふうに言及しているだけだ。田中がどうした、とかどうでもいいことはわりかし書いているのに書いていない、ということは帰路についた直後も相当に不安に思っていたのかもしれない。ただ、その後一ヶ月くらいの過去ログの記述では、旅先で風邪になるは、鬱症状に陥るは、腹を壊すは、重度の花粉症になるはで、見事なまでに散々だ。健康診断ではけっこう必死な訴えかけもしたようだ。何だか分かりやすいぐらいの相関だが、因果関係があるかどうかは神か霊?のみぞ知る、というところだ。まぁ、体調不良ぐらいで済めば罰も軽かったと思うが、それだけではないのでは、というのが一番最初に書いたような、漠然とした不安だ。

一方で、それまでバカ大学生丸出しのアホで軽薄な(言い換えるならば内輪ノリ)文が目立っていたが、謎の体調不良が回復してからは、ちょっと文体と内容が変わる。この時期、巡検のこと意外にあまり記憶がなく、無くしものも多かったので、もっと前後を逸した、いっちゃった文章を書いているかと思っていたが、意外にまともだった。考え方も、今とあまり変わらなくなっている、というか、この時期に今の考え方のもとが出来始まったらしい。ということは、祟りのせいで多少目が醒めたのかもしれず、あながち悪いものでもなかったか...そして、今まで発作?および転身の大きなきっかけであったと思っていた、7月の北海道旅行で人から教わったことも、引き金であるに過ぎなかったことになる。

とりあえず、自分はそこに暮らした・暮らしている人々の念の積み重なりが、土地に何がしかの影響を与え、そこに行く者、新たに入ろうとする者にも影響を与える、ということをわりかし信じているし、神社の神様や地霊のようなもの?というのもわりと信じている。神社が荒れているところは、例え家屋が立派だったとしても何となく荒んでいるように見えるものだ。研究学園都市での弛緩した4年間も、それをまた違ったかたちで教えてくれた。
ということで廃村と研究学園都市にもし立ち入られる際は、くれぐれも心されるよう。