友人N

友人Nは村とか町とか祭とか、そういったことでよく一緒に話ができる数少ない友人の一人である。ニュータウンで育った俺と違い、彼は古い町で育った。俺は古い村とか町に分け入ろうとしている分、彼との知見の違いに教えられることは多い。そんな彼と浦山に行ったときにふと話がTX沿線開発の話に及んだ。彼がぽつりと、しかし呆れとか怒りとか残念な思いとか複雑な気持ちを多少込めて、「何であんなにやっきになって消そうとするんだろうねぇ…」と言ったのが忘れられない。会話の流れで、消そうとするものは地名や路、堅い言葉で言うところの村落や町が歴史的に造りあげてきた空間構造、場所性、土地が持ってきた履歴…そんな諸々のことだ。TXでいうみどりの、みらい平、そして幾多の〜平、〜台、〜野…

地名を廃し、区画整備によってそれまでの土地の履歴を「消す」ことは、ニューカマーがその土地のパイオニア、古い言葉で言うなら草分けとなりたいという需要と結びついているように思える。新参者、風の人として扱われたくない、自分たちが主人公となってその土地の歴史を刻んでいく、という感覚に浸りたいのだ。これは自身がニューカマーであったことから考える推測である。当時小さな子供を抱えた若い核家族世帯が大量に入居してきたニュータウンは、活気に満ちていた。自治会や子供会活動も一から作られ、活動が盛んに行われていた。今考えると、そこにはこの土地が「我々のもの」であることが前提条件であった。当然そこに「旧世界」の入り込む余地はなかった。意図的であったかどうかは分からないが、ニュータウンと集落の間には小学校と中学校が鎮座して、世界を分け隔てていた。

ニュータウンに付された野、台、平、丘という地名が、大規模開発のターゲットとなった台地の特徴を捉えていることは自明だが、そこには台地の持つある種の付加価値のようなイメージがあるように思える。それは独歩以降形成されてきた「武蔵野」に対する詩趣と憧れに結びつくのではないだろうか。広大な雑木林や茅原が「武蔵野」の主な内訳だろうが、大都市すぐ近くの後背地に侘びを湛えた地があるという空間構造の把握、そして農村から見ても周縁に位置し、都市住民が嫌悪する「むら」の負のイメージ(彼らの多くは旧世界から脱して「市民」なるものになりたいと願ったのではないか)、からも周縁にあること、この二つが野、台、平、丘に、新居選びの際にプラスのイメージを与えていったのではないだろうか。


「つきのわ」とか「牧ノ原」といったネーミングには一定の評価をしてもいいと思う。