展示写真解題

津波に、放射性物質に洗われてしまった土地が、場所性を侵食、剥奪されてしまったと感じたことから、今回の展示では各写真に地名を表記しなかった。放射性物質に汚染された山間の町や村を撮った"Pueblo Callado"でも、地点座標と、モニタリングポストによる放射線量を示すにとどめた。ちょっと不親切ではあると思うので、ここでひっそりと各写真の解題をしたい。

無題(仮題「海よ!」)

……自分のなかに何かあの美しい海の残響のようなものがはっきりとした形で残っており、どこか現前の光景に現実感がない。空襲で焼け野原になってしまったかのような街、土砂で埋まってしまった湾、針金のようにひしゃげた線路…壮絶な光景だった。それを見たのにもかかわらず、か、見たからなのか、どちらかは分からないが…荒々しい波と深い青緑の淵のコントラスト、まるで津波などなかったかのように装う静かな入江、港を飲み込みひたひたと波打つ海…それらは私の体を支配するように強烈で深い律動、色彩、響きを私に残している。


Toyoma, Taira Dist. Iwaki City

いわき市平豊間のメインストリート。昨年3月23日、いわき市に暮らす友人のもとに物資を届けに行った際、豊間を通る道路がようやく通行可能になったということで、案内してもらった(そのときの記録)。通行できるようになったという道路は、地割れし、家や瓦礫が積み重なる中、崩壊した人家の軒先や庭のなかをくぐり抜けるようにして、辛うじて通行できるものだった。黙々と瓦礫のなかから家財を積み出す人たちに、自分は語る言葉を持たなかった。



Seaside of Kesennuma City

気仙沼市の臨海部。モノトーンのようなくすんだ夕暮れに、地盤沈下によって海水に浸かった無人の町が沈んでいた。2011年6月30日撮影。



Nakano Fishing Port, Hirono Town, Iwate Prf.

岩手県洋野町中野漁港。一面瓦礫になってしまった港の道路で、ユニックを使って漁網の修繕作業が行われていた。2011年6月26日撮影。



Samuraihama, Kuji City, Iwate

久慈市侍浜のとある小さな漁港。侍浜地区は海辺に平坦地がなく、こうした小さな漁港が荒々しい岩肌にへばりつくように点在している。住居は元々みな高台にあるので被害はなかったと思われるが、どこの港も番小屋や漁具は跡形もなく、「きれい」になってしまっていた。奥さんに見送られて、漁船が一艘出漁していった。2011年6月26日撮影。



Ryoishi, Kamaishi City, Iwate

釜石市両石地区は数ある被災地区のなかでも最も甚大な被害を受けた地区の一つだろう。かつて高台にある両石駅の待合室で夜景を望みながら一泊し、通学の高校生とともにホームから眺めた街の様子は、空襲でも受けたかのような凄まじい混沌だった。駅だけが全く被害を受けておらず、かつての街の景色をたぐりよせる手がかりとなった。6月に入り瓦礫が撤去され更地になった地区も多い中、ここは瓦礫の量が多いのか片付かず、家のあった場所には戸主の名前を書いたであろう旗がはためいている。2011年6月30日撮影。



Maeamihama, Oshika Peninsula

石巻市(旧牡鹿町)前網浜。牡鹿半島を反時計回りに一周し、ほぼ全ての集落を見てきた。女川原子力発電所のある東側は、この前網浜、寄磯浜を筆頭に、穏やかで美しい湾を望むひそやかな漁村が点在する。恐ろしい津波が来たことなどまるで考えられない、陽光に照らされ翡翠色をした、平和な海だった。以下、牡鹿半島の写真は全て2011年10月撮影。



Yorisohama Fishing Port, Oshika Peninsula

石巻市(旧牡鹿町)寄磯浜。上の前網浜のすぐとなりの集落。家がほとんど被災した前網浜と違って、学校にも港にも人気があった。港は沈降によって使用不能になってしまっただろうが、復興に動く人たちの活気を感じた。前網浜同様、翡翠色の鮫浦湾を望む、静かで居心地の良い場所だった。



Sameura, Oshika Peninsula

石巻市(旧牡鹿町)鮫浦。もはやどこに何があったか、まったく分からないほどの被害だった。ただ一つ、小さな社だけが流出を免れたのか、道ばたに置かれていた。



Oyagawahama, Oshika Peninsula

石巻市(旧牡鹿町)大谷川浜。ここも被害は甚大で、かつての集落の、港の様子を全く想像することが出来ない。新たに築かれている物々しい防潮堤が傷跡のように痛々しい。やや高台にあった小学校も被災し、廃墟となっていた。



Tomarihama, Oshika Peninsula

石巻市(旧牡鹿町)泊浜。隠れ里のようなこの集落は道路が崩壊し、軽自動車が辛うじて通行可能な程度だった。1mも地盤が沈降し、岸壁が水面の底に、街灯やクレーンが海面から突き出している牡鹿半島の港の姿は、奇しくも『ヨコハマ買い出し紀行』で描かれる、水没した都市の終末的な風景のようだ。


Onagawa Town, Miyagi

女川町石浜。かつて住宅地であったと思われる場所は、中心市街地を見下ろす緩傾斜の更地になってしまっていた。誰が掲揚したか分からない、日章旗がはためいている。2011年11月撮影。



Joudogahama, Sanriku National Park


宮古市浄土ヶ浜。この三陸の海岸美のシンボルとも言える風景は、がっかり風景と評されることも多かったように思う。高校生のとき訪れたときも、「浄土」の名前の由来となった白い岩肌は白々しく、正直なところ記憶に残るような風景でないと感じていた。だが、津波に洗われたあとの浄土ヶ浜は何とも奥行きを持った存在に感じられる。人気のなさ、静けさがそうさせたのか、三陸の海を見続けてきて自分の心境が変化したのか、実際津波によって造形が変わったのか、いずれも定かでないが、半日も佇んでいたくなるような、惹きつけられる風景だった。