自分の命題をもう一度問い直す

AC入試のとき、自分は面接官だった先生に「まず先に自らの命題ありきで、それを踏まえて諸学問の成果を利用させて貰う。そんなやり方に挑戦したい」などと、今思うと思い上がりというか、若さは怖いというか、そんなことをぶちまけて合格したのだが、肝心の「命題」とは何か、を上手く表現できなかったし、今に至るまで、それを考えられなかった。

多分、自分を突き動かしている命題というより、その元となっている感情は3つある。
一つは、「確かに、地に足をつけて生きること」「生きることそのものが喜びであること」への憧れであり、それは自分が育ってきた環境を見つめ直す(もしくは軽くフラッシュバック)ことと、農産漁村に関心を持つこと、旅をし、写真を撮ること、セヴラックやアルベニスに繋がっている。
一方で、「とてつもなくファンタジックで、幻想的で、現実と非現実の境が曖昧なもの」や「とてつもない広がりを感じさせてくれるもの」への飢えもあって、惹かれる景色や写真はそんなものが多いし、モンポウや、スクリャービンラヴェルのような音楽を弾いて幸せなのも、そんなところだろう。
もっとも、上記2つはごっちゃになっていて、だからこそ研究が捗らないのだろう。一つ目は決して手に入らないと思っているからこその2つ目なような気もする。現実を見ているようで、見ていないのだ。現実を触媒か何かのようにしか思っていないのではないか。手に入らないものへ憧れることからくる切なさを楽しんでいる風すらある。
さらに、「それらを通じてトリップしてしまうこと」で、これはもう僕がライヴなんかでやっていることを見て貰えば分かるのだが、もうアル中みたいなものだ。もっともお客さんを巻き込まないと気が乗らない分、ちょっとは高級か。写真はまだまだだけど、やっぱりそんな指向がある。

2つとも欲しがるから、いつまでもマージナルなままだ。