今回の収穫の一つ

人は、というより自分のような人間はしばしば筑波大生が「社会」と形容するシステムのなかでなくても、正確にいうとその縁辺部(産業、経済や行政のお世話にならないわけにはいかないからね)でも生きていけるのではないか、と実感を持って感じたことだ。自分の場合、しばしば悩まされる尊厳性の貧弱さへの不満や安っぽい功利心、自己主張の欲求と自分の居場所への拘泥というのは、定住して、特定の集団に属しているからこそ生じるものなように思える。旅をして、どこにも属していないと人との深いかかわりはできないのかも知れないが、個と個のふれ合いは可能だし、その9割以上は袖触れあうのみで終わるが、1割、いや5分くらいは友情に発展する可能性を持った関係になる。それでいいのではないか?集団の生み出す力、そこから個が受ける影響は確かに偉大だ。現に研究室で自分は先輩方から色々なことを教わったし、オケでもそれなりに楽しい思いはさせてもらった。が、それが全てでもあるまい。

今後自分はこうした生き方を親不孝にならず、大量に借りている奨学金を返せるかたちで実現していける道を模索しようかと思う。