伯楽寮解体

解体は4月26日に始まり、30日で更地になるまで5日間と、結構時間がかかった。
前日は灯油ランプに明かりをともして、ささやかながらみんなでお別れ会をした。すっかり廃墟と化して不気味な伯楽だったが、この時ばかりは住人退去前に戻ったような感覚。やるよと告知したら、酔いつぶれて解体に巻き込まれるんじゃないかと心配してくれた友人がいたが、無事夜通し起きることが出来たので無問題、代わりにというか何というか、保母さんなおばちゃんが見事に潰れていましたが、無事に搬出され、外に寝かされてました。
解体が始まってからは、畳を運びだして、みんなでお茶を飲みつつひねもす解体を眺めてお別れ。昼には、農業生態学系の部隊が周辺からタケノコやタラの芽、適当な野草などを採ってきて、天ぷらにして蕎麦と一緒に食べた。まさか自分の住んでいる場所から20〜30mのところにタラが群生しているとは思わなかった。タケノコ、タラの芽はもちろん旨いが、意外に適当な野草(というよりも雑草か)のほうもいける。たんぽぽの花の天ぷらなんて結構美味。解体業者の方々もさすがに不思議に思っていたようで、何食べてるん?と訊かれました。

肝心の?撮影ですが、コダクロームを詰めたOM-4Tiと、モノクロを詰めたRB67の、万全の2台態勢で、みっちり5日間、解体の全行程を密着撮影していました。朝8時から夕方5時まで屋外で撮影、撮影が終わったら引き揚げた荷物の整理や注文を受けた伯楽写真のプリントをするという、怒濤の日々。それで気分が高揚してしまったのか、気が付いてみるとコダクロームだけで20本も撮っていて、現像代を計算してみてガクブルなのですが、撮ってしまったものはしょうがない、伯楽への香典だと思って腹を括ります。中判で撮ったモノクロは経費節減と勉強を兼ねて自家現像をしてみるつもり。伯楽では下水がないので怖くて出来なかったが、友人が場所を提供してくれてどうにかなりそうです。

フィルム交換が間に合わなくてとりあえずデジカメで撮ったぶん。



26日…内装破壊、サッシや扉の撤去
27日…午前;瓦の取り外し 午後;壁板や柱の撤去開始、でっかい重機の搬入
28日…でっかい重機で鉄筋切断、どんどん破壊、この日で土台以外の解体は終了
29日…解体した板、柱などの片付け、土台の撤去
30日…土台の撤去続き、最後の片付け

27日には内装が完全に撤去され、柱や壁板、梁などが露出したのだが、それを見て驚く。よれよれの内外装から、安普請だとばっかり思っていたが、実にふんだんに材が用いられていた。四畳半の壁の幅に、角のほかにさらに2本も柱が入っていて、その間は幅15cm、厚さ2cmくらいの板2枚ががっちりとほぞに入れられて固定されている。ほぞ組みの加工も非常に美しい。それに、これは釘打ちでもいいんじゃないか、というところまでほぞで組んであったり、ほぞの補強で釘が打たれたりしている(これはひょっとしてそういうものなのかも)。
周壁部分は太い柱に加えて、20cmに一本間隔で細い柱が組まれていて、筋交いも幅の広い板がきちんと入れてある。窓は非常に広くとってあったが、その周囲の支えの組みは見事というしかない。
梁もきちんと直径15cmくらいの丸太で組んであった。解体業者さんがショベルで掴んで、武器として使っていたくらいだから、相当頑丈なものだろう。
さらに驚異的なのは鉄筋で、写真を見て貰えれば分かると思うのだが、ちょっとしたビルに使うようなものが入っている。太さは25x40cmくらいか。

ということで、骨組みだけになってしまった伯楽は非常に美しかった。こういうのを職人仕事の粋というのだろう。
後で大家さんに話を聞くと、この建物を造った大工さんはこれが初の仕事だったらしく、向こうから是非やらせてくれと頼んできたのだという。そういう意気込みもあって、これだけ丁寧に造りこんだのだろう。その大工さんはもうこの世には居られないそうなのだが…しかとあなたの職人魂と技、拝見しました。

結局、太い柱だけで6〜8tのダンプに積みきれないほどになるほどの量が出た。板や端材を含めると4回ほど運搬をしていたのではないかと思う。これくらいの大きさで、それだけの材が使ってあるのはかなりのものではないだろか。
素人考えだが、これだけの木造建築はもう宮大工くらいじゃないと作れないのではないか。少なくとも、億に近いか、それ以上の金を積まないと建築は無理なんじゃないかと思う。
さらに、湿気の多い場所であるにも関わらず、材が痛んだり、虫に食われているような様子は全くといっていいほどなかった。28日は葬式がてら、材を燃やしてたき火をしたのだが、よく乾燥していて非常にスムースに燃えた。ちっとも煙が出ない。主にマツ材が用いられているのか、火力が高かった。

土台もこれから家を建てる現場だと言ってもばれないくらい綺麗な状態だったし、これは内外装さえリフォームすれば100年以上持った建築だったのではないか。