色々旅行もしたし、調査もしたけど

する度に、自分は首都圏近郊の片田舎の冴えない団地で育って、それに大きく規定されていることを意識せざるを得ない。今月の初めに川越駅から的場駅まで散歩するという、素っ頓狂な企画を突発的にやったが、昔遊んだり学校の行事があったり、何度も父親と一緒に通ったような場所をスローなテンポで見ていくのは、懐かしさとはまた違った、奇妙な安堵と、ワクワク感が伴った。夜の団地を散歩したときなど、懐かしさと高揚感(変な意味じゃないよ)で身震いする思いだった。
今まで自分は根無し草だなんて思っていたけど、やっぱり刷り込まれているんだなぁ。

自分がそもそもの興味対象だった平地林や雑木林というものも、「首都圏近郊フロンティアの片田舎の冴えない団地」住民が持つ興味としてはそれなりに自然なものだったと思う。それが、里山とか場所とかの話を勉強したり、大学の巡検で都市近郊とか郊外なんてカテゴリはないから、仕方なく農村地理グループに入ったりしているうちにこじれてきてしまったようだ。どういうことかっていうと、ある場所で先祖代々暮らし、地縁があり、また身の回りの資源を利用し続けてきたような生活…つまり社会的にも経済的にも、宗教的にも土地と深く結びついてきた暮らしに羨ましさと憧れを抱いたのだ。

だけど、思ったよりも土地に根ざしている人と、そうでない人の断絶は広い、ように思えてきた。何よりそういうものへの憧れがもはや幻想、というのもあるし、所詮自分はそういう場所ではいつまでもよそ者なのだ。ようやく自分の(場所的な?)立脚点を素直に見られるようになったのか、単に伯楽に住むようになって気分が変わっただけなのか。
伯楽という立地は農村、社会的には?な場所に住んでいて、住んでいた時には辟易していた首都圏近郊や郊外というものを相対化できてきたということもあるんだろう。近郊に暮らす人々が面白く思えてきた。それに、彼らを地理の対象として捉えることはちょっと難しいと思うが、写真ならわりかしいける、というのもあると思う。

ということで、これからは近郊と郊外を探検&撮影してみようかと思う。