社会的なことに興味がなくなって久しいが

自分のことなのに、つい前まで無邪気に「地域のことを考える」「公共選択論」とか、そういうことに関心を持つことが出来ていたのが、理解できない。それはきっと自分が上記のような暖かいお風呂の残り湯にまだ浸っていられたからなのだろうか。お湯はもう冷めてしまった。そろそろお湯を温め直したいが、その術を自分は学んでこようとしなかった。燃料は自分で調達せねばならないことに漸く気付く。