自分の音楽

この4年間,いや高校3年の時からだろうか,自分がいわゆる王道のクラシックに背を向け,民族音楽的なものへ傾倒してきたことは間違いない。クラシックの中では,まずシベリウスにはまり,北欧つながりでグリーグ,パルムグレン,トヴェイトにはまる。ヴォーン・ウィリアムズにもはまりまくり,ブリテン,フィンジ,アーノルド,ウォルトンと続く。果てはウィリアム・バードとトマス・タリス。最近はホルストエルガーも見直し中。南にいけば,アルベニスにまずはまり,「イベリア」にどっぷりと今でも浸かっている。フランスも実はけっこう好きで,最初はドビュッシーラヴェルから入ったが今では圧倒的にプーランクのファンだ。舘野泉つながりでセヴラックも大好きである。東に行けば,マルティヌー好き。何故かスクリャービンも好き。
 こうした微妙な好みは,まず特にピアノにおいて他の人と同じ曲を弾きたくなかったことがまず第一の理由だ。だからこそ常にマイノリティの音楽を探求してきた。もちろんそれだけではなくて,なんと言おうか,人々が生活のなかで編み出し,日常の喜びや悲しみを詰め込んだ音楽にとても親しみを感じるからだ。それは,ヒステリックなエゴをたたきつける音楽と違って,非常にナチュラルである。だからだろうか,長いあいだ歌い継がれてきた音楽は,個人的なくくりを超えて,ある種の神的なオーラをまとうような気がする。宗教音楽にも惹かれるのはそのせいだろうか。
そして,上にあげたような音楽の共通項を敢えて挙げるとすれば,決定的に「切ない」のである。俺はこの「切なさ」という感情に非常に惹かれる。
さらに,「土地の匂い」がすることも重要だ。地理やっているのも,自分が風土というものに対して敏感にならざるを得なかった生い立ちのせいだと思っている。土地?故郷?に対する悲喜こもごもの様々な思い。非常に惹かれる。
そして,全く自分のなかで整理していないが,「切ない」という感情と,「土地の匂い」,この二つには強いつながりがあるような気がしてならない。


貧乏臭いが,自分が庶民であると強く意識していることも理由の一つだろう。ようは,金持ちが自分の楽しみのために聴いたようなハイソな臭いのする曲が気にくわない。